[ 猿橋(2025 06 29)]
猿橋宿に入る手前で桂川を渡りますが、そこに日本三大奇橋の一つと言われる猿橋があります。
日本三大奇橋は猿橋のほか山口県の錦帯橋、富山県の愛本橋と言われていますが、徳島県のかずら橋や長野県の木曽の棧が入ることもあります。
現存している橋となれば猿橋、錦帯橋、かずら橋が三大奇橋でしょうか。
現存しているといっても、架橋当時の橋が残っているわけではなく、幾度の架け替えを経て現在でもその姿を見ることができる橋です。
[ 新猿橋(2025 06 29):鋼製アーチ橋 ]
現在見ることができる猿橋は1984(S59)年に架け替えられた橋で、外見は木製ですが芯材に鉄骨が使われているハイブリッドな橋です。
アーチ構造を知らなかった日本人が大径間の橋を架けるため、刎橋といわれる構造で桂川を渡っています。
猿橋の上から川面を見ると恐ろしくなる深さがあり、橋脚を建てられない場所ですが、桂川の幅が最も狭い場所でもあります。
1934(S9)年に鋼製アーチの新猿橋が上流側に架けられ、刎橋の猿橋は甲州街道としての役目は終わりました。
鋼製アーチの新猿橋は、猿橋の下流側に国道20号の新たな新猿橋が架けられ、現在は県道の橋として使われています。
[ 猿橋と水路橋(2026 06 29)]
猿橋より下流側に、水を流すためのコンクリートアーチ橋が見えます。
水力発電に使う水を下流に送るための橋で、1912(M45)年に運転を開始した八ツ沢発電施設の一つです。
この付近では注意して見ていると思わぬところに水路橋や水路が見られます。
すでに100年を超えた発電施設ですが、自然再生エネルギーとしてこれからも大切に使われていくことと思います。
[ 猿橋駅前(2025 06 29) ]
猿橋宿はJR猿橋駅前交差点付近にあったそうですが、古い建物はほとんどなくコンビニが目に付くだけです。
三大奇橋の錦帯橋やかずら橋の周りは、飲食店やお土産を売る店が観光地らしい賑わいを出していますが、猿橋周辺はひっそりとした感じです。
猿橋や八ツ沢発電施設、桂川の渓谷など観光素材は多くあるように思えますが、富士山や富士五湖への経過地でしかないようです。
[ 送水管(2025 06 29):現在は2本のみ ]
駒橋宿の手前で、1907(M40)年運転開始の駒橋発電所へ水を流している送水管を横断します。
直径1mほどの2本の送水管で送られた水は、駒橋発電所でタービンを回した後は八ツ沢発電施設の水路に入り再び発電用水として利用されます。
火力や原子力に比べれば小さな発電量ですが、先人が苦労して造った二酸化炭素を排出しない発電施設です。
[ 駒橋宿(2025 06 29)]
駒橋宿は小さな宿で、沿道は今風の建物に建て替わり宿場らしさは残っていません。
駒橋宿の小さな案内柱がある厄王大権現の一角に、厄王山奥の院の石で作った桃の石があります。
三回触ると邪気を払い願い事が叶うそうです。
大月には大月桃太郎伝説なるものがあり、甲州道中の宿場である「犬目」「鳥沢」「猿橋」で犬、鳥、猿を家来にして岩殿山にいる鬼を退治したという話です。
こんな話にあやかって、桃石が作られたようです。
[ 桃石(2025 06 29):安山岩の桃 ]
[ 岩殿山(2025 06 29):標高634m ]
駒橋宿から大月宿は1㎞ほどしか離れていません。 大月宿に向かって歩いていると、右手に見える岩殿山がどんどん大きくなっていきます。 戦国時代の武将小山田信茂の居城が山頂にあった山で、巨大な岩壁が垂直に立ちはだかり人を寄せ付けない雰囲気があります。 岩壁があるので素人は登れないように思えますが、ハイキングコースがあり山頂まで登っていけます。 ただし、結構きつい坂道が続いていましたが、晴れていれば富士山がきれいに見えます。
[ 大月駅へ向かう甲州街道(2025 06 29)]
甲州街道は国道20号から分かれ大月駅前に向かいます。
4,5mほどの道の両側に建物が並び、駅が近づくにつれて密度が高くなっていきます。
街道だった頃の建物はありませんが、緩やかな曲線を描く道筋は江戸時代の姿のまま残っているようです。
人が歩き自然に生まれた道は面白いことに直線にはならないようです。
沿道は民家やお店に交じり夜の飲食店もちらほら。昭和の街並みのようです。
[ 大月駅前(2025 06 29):ホテルができた ]
9年前に来たときは大きなホテルはありませんでしたが、なんと東横INNが駅の北側に誕生していました。
駅前には外人観光客もちらほら見られますが、電車で来た人がJRから富士急に乗り換えるためにぶらぶらしているようです。
大月付近の甲州街道からは富士山が見えないので、インバウンドにとって観光の目的地にならないようです。
[ 大月駅からの甲州街道(2025 06 29)]
駅前広場から西側に延びる甲州街道沿いですが、日曜日の昼前なのにシャッターを閉めたお店が続きます。
大月は甲州街道から富士山方面への道との分岐点だったので昔は賑わっていたようですが、今は地方都市の寂しさがにじみ出ています。
笑点メンバーの三遊亭小遊三師匠に頑張ってもらいましょう。
[ 下花咲宿(2025 06 29)]
大月宿を過ぎ国道20号を歩くと、すぐに下花咲宿です。
甲府寄りにある上花咲宿と月の半分ずつ宿場の業務を行っていた小さな宿場です。
かつて大きな桜がありその花が見事だったので「花咲」という美しい名がついたと言われています。
宿場らしい建物で残っているのは、本陣として使われていた星野家住宅くらいです。
この建物は1848(嘉永5)年頃に建てられたもので、明治天皇の巡幸では御小休に使われました。
[ 下花咲宿本陣(2025 06 29)]
建物はきれいに保存されており、「本陣」「明治天皇花咲御小休所」と彫られた石柱が正面に立っているので、訪問者には分かりやすく助かります。
現在は両側にファミリーレストランが営業しており、庶民でもすぐ隣で食べたり休んだりできます。
星野家住宅のほかに宿場らしい建物はなく、中央道大月インター入口の大きな交差点を渡ると上花咲宿になります。
[ 上花崎宿(2025 06 29):東京方面 ]
上花咲宿は案内板などがないので、地図を見ながら歩いていないと通り過ぎてしまいます。
国道20号の沿道は民家のほかに某宗教団体の会館や葬儀用のセレモニーホールがあるぐらいで、宿場だった面影は全く残っていません。
「上花咲バス停」を見てこのあたりが宿場だったと気づかされるような宿場跡です。
[ 上花崎宿(2025 06 29):甲府方面 ]
甲府方面への国道は緩やかですが単調な上り坂になり、狭い歩道を歩かされます。
坂道の先には中央自動車道から分かれる河口湖線が見え高架下をくぐると、両側に迫る山々の間隔が狭くなってきた感じです。
このあたりの旧・甲州街道を歩いていても富士山の姿を見ることができません。
見えるのは名も知らぬ山々です。